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第11回フランス映画祭レポート

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文・インタビュー/今 祥枝

Q 冒頭からいきなりミュージカル・シーンがあったりと、非常にユニークな作品でした。あなたは監督でもあるわけですが、この映画では演出的な面でも関わったのでしょうか?


アマルリック 全然関わってないよ! ほとんどバカンスに行ったようなものさ(笑)。いちばん大変な仕事は、監督のアルノー&ジャン=マリー・ラリユーに100%任せたよ。僕は求められるままに演じただけさ。


Q 映画のなかで何度か歌うシーンがありますが、あれはもちろん自分で歌ってるんですよね。確か実生活のパートナーで女優のジャンヌ・バリバールさんと、以前にミュージカルを演じたことがあったと思うのですが。


アマルリック 『ジャンヌと楽しい仲間たち』のことだと思う。彼女とミュージカルを演じたのは、その作品のためのパイロットフィルムだったんだけど、残念ながら実際はそれを撮影することができなかったんだ。今回の映画の冒頭部分は、ちょっとおふざけのようなものだよね。パロディ的でセリフもヘンだし(笑)。最初に観客に笑ってもらいたいという、監督のねらいだと思う。2度目は、愛の告白をするために歌うよね。あれは僕が演じるボリスにとっては、ある種のリスクを冒すシーンだ。中世の時代のスペインかイタリアに迷いこんだような、ギターを持っていきなり好きな人のバルコニーの下で愛を歌うような感じだからね。これは監督が言ってたんだけど、いわゆる声帯、歌うことのオルガズムを見せるという表現なんだ。


Q 歌うことにプレッシャーは?


アマルリック ストーリーの一部だったので、あまりそこだけを切り離して意識はしなかった。後半でピレネー山奥に生息するライチョウも、歌うのは愛を告白する時期だという説明があるよね。そういう状態になる時ほど、生き物として弱くもなるし魅力的にもなるしセクシーにもなる。ラストなんか、ふたりは裸になって歌っていてまさにセクシーなシーンだよね。まるで人間の弱さについて歌っているような……。だからこそ、我々の生の歌である必要があったんだ。俳優としての自分自身の歌の才能よりも、ボリス自身が歌うことによって、「ああ、ボリスは大丈夫だろうか?」と観客がひやひやしながら観ることが重要なのさ(笑)。


Q 確かにボリスの歌はどこかあぶなっかしくて、ひやひやしました(笑)。


アマルリック 特に最初なんかアカペラで歌うよね。アカペラって、初めて愛の告白をするような緊張感があるんだ(笑)。それから最後の歌だけど、あれはプレイバックじゃなくて実録だったんだよ! 実際にあの場で、しかも裸になった状態で歌うっていう(笑)。


Q 聞いているとやっぱりプレッシャーを感じそうですが。


アマルリック いいや、実は言ってるほどでもないんだ(笑)。すごくよかったのは、物語が展開していくのと同じ順番で撮影していったこと。だから全員が盛り上がって、いい状態であのシーンの撮影に入っていけたんだ。


Q この映画はいろいろな解釈ができるところが面白いのですが、あなたはこの作品で描かれているテーマは何だと思いますか?


アマルリック 結局、これは人を愛することが好きな人たちの話だと思う。もしあまり愛情がこだわりを持っていなかったら、最後にふたりが再会するっていう展開はしっくりこないはずだよ。最後に再会したふたりは、他人同士のふりをして、まるでネコとねずみのおっかけっこみたいな演技をするよね。あのシークエンスは、もしこのロープを投げてもらえなかったらどうなるか、というぐらいハラハラさせられるものだと思う。


Q あなたは俳優としてこの業界でキャリアを出発しましたが、その後はルイ・マル監督の『さよなら子供たち』にスタッフで参加するなど、製作する方に積極的に関わっています。最初から監督を目指していたのですか?


アマルリック その通り。最初から作る方に回りたかった。僕はいま、演技をすることがすごく楽しいんだ。それは演技をすることが不可欠だ、絶対にこの役を演じたいと思う時しか、仕事を引き受けなくていいからなんだ。そう思えるのは、自分は本当は監督だっていう、俳優とは別のきちんとした世界を持っているからだ。演じる役も好きになって、気に入った監督としか仕事をしないから、監督も僕のことを気に入ってくれてまた使ってくれるしね(笑)。専業俳優の場合、本人以外の他人の欲求にどうしても左右されてしまう。だけど、僕の場合は本当に自分が求めた時しか演技をしないから、専業俳優の人たちはほんとに大変だと思うよ!


Q 監督業はどういったスタンスでやっているのでしょう?
アマルリック そうだな。監督は自分にとって楽しみではなく、必要なこと、死活問題ぐらいな気持ちでやっている。そうなってくると、じゃあ、どうして映画を作るんだろうという問題になってくるね。文学みたいなもので、ほかのありとあらゆる芸術のスタイルと同じだと思うんだけど、『ワールド・イズ・ノット・イナフ』じゃないけれど「人生はそれだけでは足りない」ということなんじゃないかな。


Q カンヌ国際映画祭で上映された、最新の監督作について教えてください。


アマルリック テレビからの注文で製作した映画なんだ。僕は依頼を受けるというのは、とてもステキなことだと思っている。「男と女」という、いろんなこともできるんだけど、何も意味をなさないかもしれないっていう、非常に難しい、インポッシブルなテーマだった。だけど、僕は喜んでその映画の中に溺れて作ったよ!


Q あなたにとって監督をするというのは、何か描きたいテーマが内から湧き上がってくるからですか? そういった欲求を表現せずにはいられないのでしょうか?


アマルリック 映画を作るっていうのは何なんだろうなぁ。自分でもよくわからないんだけど、例えば時として、ただ単に好きな女性を撮影してみたいという欲求からでもあるし、ある時は確かに内部から湧き上がってくる欲求の場合もある。ものすごく生きていたいという、そういう欲求から描きたいイメージやテーマが湧いてくるんじゃないかな。映画って何だろうって考えていくと、そこにたどり着くような気がする。そういう状態の時って、感性がすべて敏感になっていくのを感じるんだ。


「映画は実際の人生よりも美しい」という、フランソワ・トリュフォーの言葉がある。『運命のつくり方』の中でもボリスの相手役のエレーヌが、ラストで涙を流しながらそう言うセリフがあるから、やっぱり映画は実際の人生よりも美しいんだろうな(笑)。だけど、僕はそうは思っていないんだ。僕の場合、映画に関わるようになってから実際の人生を強く、よりはっきりと意識して生きられるようになったと思うよ。


Q トリュフォーには影響を受けましたか?


アマルリック トリュフォーはみんな好きだよね! 僕の場合は、好きになって、次にイライラして、でもまた戻ってきて、自分の人生のいろいろな段階でもう一回観たくなるっていう感じ。それが映画のすごさじゃないのかな。20歳で観た時と、40歳でまたもう一回観直すと印象が全然違うんだよ。『隣の女』なんかまさにそうだね。僕が初めて観た時は16歳ぐらいだったけど、きっと若すぎたんだと思う。最近観た時は、全然違った印象を持ったよ。それまでにどんな人生を生きてきたかによって、同じ映画でも全然違って見える。それが映画の持つ真の美しさなんだ。


 

 

赤ワインを飲みながら、終始上機嫌だったアマルリック。大きな瞳をキラキラさせながら、こちらの目をのぞきこむようにして話す表情がなんとも人懐っこい感じだった。話が乗ってきたところで時間切れになってしまったのが残念!

 

 

 運命のつくりかた
 本作が長編第二作となる新鋭アルノー・ラリユー、ジャン=マリー・ラリユー監督による異色のラブ・ストーリー。知り合ったばかりで本当の恋に落ちた駆け出しの映画監督ボリスと、若くして管理職にあるマリリン。5年後に子供たちとともにバレアレス島に行った際、ボリスは妻に別れを切り出そうとするが、妻は失踪してしまう。さらに5年後、ピレネーの山奥で山岳ガイドをしているボリスの前に、突然マリリンが姿を現す。主演のアマルリックとラリユー兄弟が来日。
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