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【年末特集企画】映画界の震災復興支援はその後、どうなったのか?

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映画界の震災復興支援はその後、どうなったのか?

検証4.被災地からの声

Image.Fukushimaで行われた講演の様子
Image.Fukushimaで行われた講演の様子

 福島第一原発事故の状況がまだ見えなかった2011年5月、福島以後の未来について映画を媒体にして語り合うImage.Fukushima実行委員会が発足した。実行委員長を務めるのは映画批評家で福島県郡山出身の三浦哲哉氏。第1回は2011年8月9日~14日、フォーラム福島で開催され、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー『ヒバクシャ 世界の終わりに』土本典昭監督『原発切抜帖』などが上映された。6日間の観客動員は約600人。

 だが中には「外から来た人にああだこうだ言われたくない」「こういう企画をしてくれるのはありがたいけど、君たち若者はなぜもっと怒らないのか」「こういうイベントは福島第一原子力発電所の電気を使っている東京でこそ開催してほしい」という厳しい声もあったという。

 それでもその後も、事務局のある東京、金沢でも開催して回を重ね、2013年1月26日にはVol.8をフォーラム福島で、同3月2~8日にはVol.9を東京・オーディトリウム渋谷で開催する。東京事務局長の渡辺祐一さんは「日を重ねるうち、回を重ねるうちに常連さんが増えてきました。今では福島の上映に東京から、あるいは福島から東京の上映会に参加してくださるお客さんもいます。ここでの出会いがまた別の企画や活動につながっていくことも。それは動員数の多寡とは違う手応えです」と語る。

 運営資金は入場料収入と賛助金で成り立っており、「主催している自分たちの身の丈に合った範囲でプロジェクトを運営し、活動を継続していくこと自体にやりがいや意識を感じています」。渡辺さんは、震災から学んだことの中で大切なことが、この「身の丈に合った」「持続可能な」という考え方だという。

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映画『希望の国』
映画『希望の国』より-(C) The Land of Hope Film Partners

 2012年10月5~7日には、三陸映画祭in気仙沼が開催された。震災後に被災地で大規模な映画祭が開催されたのは初めて。園子温監督『希望の国』のジャパンプレミアも行われ、観客動員数は述べ約8,400人。実行委員の藤光佳考さんは「開催で苦労したことは多々あるのですが、やはり資金難で結局は赤字です。準備期間も足りず、また地元ではいろいろな仕事やイベントで忙しすぎて、正直一枚岩になりきれていなかったですね」と反省しきりといった面持ちだ。

 悩ましい問題もある。今回は企業からの協賛金や寄付金で運営した無料イベントだ。だからと作品を無償提供してくれた映画会社もあったようだ。有料イベントにすれば運営の黒字化も可能で、地元ボランティアスタッフへ賃金も支払えるが、商売となれば映画会社も相応の上映料を請求するはずだ。果たして地元の観客も足を運んでくれるか?

三陸映画祭in気仙沼のメンバーたち
三陸映画祭in気仙沼のメンバーたち

 また有名俳優や監督に協力を呼び掛けたが、宣伝だとか売名行為と見られることを嫌う人もいたという。事実、今回の取材でも、個人的に被災地支援を行っているのだが「公にしたくない」という人もいた。 しかし、「検証1」で述べたように、岡田劇場がんばれ会のメンバーにとって、女優・吉永小百合が被災地に足を運び、自分たちに手を差し伸べてくれたことが力となったように、著名人が人々に与える影響力は計り知れない。

 藤光さんは「東北だけではないのですが、今の日本では地方で大きな事件が起こっても忘れられがちです。なので“事件”を起こし、話題づくりを続ける必要があると思います。有名俳優、監督など個別で支援を行っていらっしゃる方は立派ですが、手を取り合って大きく動くことは売名行為ではないし、多くの人が救われるのだということも理解してくださるとありがたい。またそういう行為が普通に行われるような社会システムになればいいですよね」と思いの丈を語る。現在、飯舘村など他地域からの開催依頼があり、来年の開催に向けて動き始めているという。

“映画の力”ミーテイングin宮古に参加した大友監督
“映画の力”ミーテイングin宮古に参加した大友監督

 一方、一人の著名人の存在が大きなうねりとなって「いわてを映画の力で盛り上げよう!」と発足したのが<映画の力>プロジェクト。音頭を取るのは、岩手出身の大友啓史監督だ。『るろうに剣心』でアクション監督を務めた谷垣健治監督を招いて参加型アクションワークショップなどを開催して盛岡を盛り上げる他、同じ岩手にある、みやこシネマリーンを後方支援する。

 代表の工藤昌代さんは「内陸の盛岡は、震災被害は少なかったのですが、震災をきっかけに地元で何かできないか? と考えたとき、まずは自分たちが楽しめなくてどうする!? とこのプロジェクトを立ち上げました。盛岡は『映画館通り』という通りがあるほど映画のまちとして知られていますが、沿岸のみやこシネマリーンと状況は変わらない」と語る。

 2012年10月19日には大友啓史監督が参加しての“映画の力”ミーテイングin宮古が実現した。「映画の力」は確実に、人と人を結び付けているようだ。

検証1.震災被害を受けた映画館はどうなった?
検証2.大手映画会社の震災支援の現状
検証3.無料巡回上映で見えてきたこと
■検証4.被災地からの声

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